横浜の近代水道 [相鉄沿線]
横浜水道記念館(西谷浄水場)
土曜日ブラタモリでハマの水の話をしていました。
初めて西谷の浄水場に行った時なんで、こんなに高いところに浄水場があるのかと不思議に思いましたが、(以前住んでいたところの近くにあった境浄水場は、平らなところにあったのに)起伏多い横浜で自然の力で水を配るには、浄水場は高いところにないといけないんですね。
ということで、横浜の水道の歴史を復習しに横浜水道記念館へ
上星川駅から西谷浄水場の間にある水道坂
水道坂の標識の隣にある昔の計測所
浄水場から横浜方面へ伸びる上水道管の流量を計測するために大正3年造られたそうです。(国指定文化財)
窓から建物の中を覗くと、流量計が残っていました。
浄水場の前から見た坂道
横浜の街が見降ろせます。
歩道の下に水道管が埋まっているようです。
横浜の水道は、最初は多摩川を水源とする稲毛・川崎ニヶ領用水の鹿島田分水口から横浜桜橋際までの約16kmを木桶の水道管でつないでいたそうです。(明治6年、1873年完成)
参謀本部陸軍部測量局製(明治15年)の地図
木でつくられた木樋水道は水が漏れたり塩分を含み安心して使えず、鋳鉄管を使った近代的な水道を作ることになったそうです。
横浜の水道計画、顧問工師長として指揮にあたった
ヘンリー・スペンサー・パーマー(Henry Spencer Palmer、1838年4月30日 - 1893年2月10日)
日本で初めて使われた鋳鉄製の水道管
明治20年から平成14年まで、115年間も使用された。
(昭和37年からは工業用水道管として使用されたそうです。)
横浜の近代水道は、相模川と道志川の合流地点に取入所を設け、蒸気機関を使った揚水機械で54フィート(約16m)揚水し海抜407フィート(約124m)の沈澄池を経て約44km離れた野毛山貯水場(海抜約50m)まで水を自然流下させたそうです。
工事は、明治18年4月に着工され、明治20年10月17日に完成しています。
三井用水取入所
相模川 三井取水場 海抜107m
用水取入所揚水機械
横浜停車場前(現在の桜木町駅付近)
近代水道が横浜に誕生したことを記念して設置された噴水
2016-05-15 16:01
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