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大池 [相鉄沿線]

土日ともお天気がいまひとつでしたが、日曜日の午前中に、こども自然公園の大池でカワセミに会えました。





池の辺りにある「大池の歴史」という案内板によると「この池は、古くから「本宿の大池」といわれ二俣川本宿の溜池で、元久二年(1205年)六月、畠山重忠公と合戦した北条時政の軍勢が、この池の水で炊き出しをしたと伝えれれている。」と書かれています。


大池のある、ことも自然公園は、大きな窪地になっていて、北側の万騎が原のあたりからは、全く見えないので北条時政がここに大軍を隠していたのかななどと、想像が膨らみますが、案内板には、「また土地の古老の話によると、江戸時代の中頃(1700年代)にこの付近の地頭の渡辺氏の名により、百姓六兵衛親子二代にわたり村内52戸の灌漑池(農業用水)としてつくられたとも伝えられている。」
と書かれていて、「諸説ある」ようです。


国立国会図書館デジタルコレクションで検索してみたら、「新編武蔵風土記稿巻之八十三 都築郡之三 二俣川村」
https://dl.ndl.go.jp/pid/763987/1/29
に、「溜井 村ノ南本宿ノ内ニアリ大サ五百坪ハカリソノ邊ノ用水」
という記述がありました。
でも、いつ誰がつくったかなどは書かれておらず、地図
https://dl.ndl.go.jp/pid/763987/1/9 )
にも載っていませんでした。
新編武蔵国風土記稿巻之81都築郡.JPG

先週知った、第一軍管区地方2万分1迅速測図原図(農研機構)Rapid Survey Map in Kanto Plain (1880 (Meiji 13)-1886 (Meiji 19), 1:20000)
https://www.arcgis.com/home/webmap/viewer.html?webmap=420daaf3c3b54cf69d052329e430a84d
の明治時代の地図には、こども自然公園はありませんが、(あたりまえですね)大池が描かれていました。


今の地図と重ねてみると、昔の大池は、いまよりも大きくて、今の大池をか囲んでる道の内側が全部池だったようです。




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